マクロ的に『守破離』を考えてみる

3年前くらい前から以下のような方向転換を僕自身がしたんですが、
どちらかと言えば感情先行でした。

いまさらながらふと、「こういうことかな?」と思いたったので
書きなぐってみます。

オブジェクト指向アジャイルと言ったキーワードにかぶれている(自分含む)人たちは、
守破離』と言う言葉は多分聴いたことがあるでしょう。

初耳の人のために簡単に説明するとすれば、
守破離』とは物事を習得すための3つのステップです。

  • 守・・・師匠等先人の教えを忠実にトレースする
  • 破・・・先人の教えを自分なりに工夫してよりよいものにブラッシュアップする
  • 離・・・先人の教えを昇華しさらなる高み(別の道)へ進む

ってな感じですね。

で、多くのアジャイラーにこの言葉を紹介してくれたのは、
アジャイラーにとっての現人神ともいえる「Alistair Cockburn」先生だったりするのだから大変です。

僕らは、アジャイルプロセスの有用性を信じて止みません。
『XPのプラクティスはまずは全部本に書かれているように実践するだ!』
やっぱ最初は「守」じゃなきゃね。

こんなやつらが当時はいっぱいいました。(自分含む)
端から見れば宗教かぶれです。(かなりそれに近かった)
が、結果としてはどうでしょう?
残念ながらそんなに広がってはないんじゃないでしょうか?

僕らはアプローチを誤ったのでしょうか?
いや、「Alistair Cockburn」に限ってそんなことはありえない。
そもそも、『守破離』と言う言葉自体古くからある日本の言葉で日本人にはあってるはずだ!!

ちょっと考えてみよう。
そもそも僕らはアジャイルを極めたかったのだろうか?
ソフトウエア開発という仕事を楽にしたかったのではなかったのか?
アジャイルとは所詮そのための一手段にしかすぎないのだ

そー考えると、書籍やKent Beck様のいう通りに進めてもうまくいかないことは明白なのである。
なぜならば、それはソフトウエア開発という長い(とは言え100年もたっていないですが)歴史から見れば、
その行為そのものは『離』以外の何者でもないからです。

  • ならべくFace-to-Faceで情報伝達をするのですから人員計画を変えざるをえません
  • 工程を明確に切らないという事は検収方法が変わるので、キャッシュフローも変化します
  • リリースごとに良いものに変化していってもそれが、依頼したものであると言う証左はありません(瓜をお願いしたのに、こっちのほうが美味しいからと西瓜がでてくるようなものです)

この変化を「破」と言うのはちと無理があります。

あちゃーやってしまいました。
シャア少佐には、『坊やだからさ。。。』と言われちゃいますよ。
東方不敗には、『だからお前はあほなのだ!』と言われちゃいますよ。

だから、急進派の皆様。
ハードランディングでアジャイル進めようとするのはやめましょう。

僕らが社会人1年目の頃、諸先輩方は一生懸命仕事のノウハウや取り組み方を指導していただきました。
その頃には、アジャイルオブジェクト指向も教わってはいませんが感謝の気持ちでいっぱいです。
少なくとも僕は、今でもそー感じています。
そして、システムの形態や社会情勢の変化によって、仕事の進め方も変えざるえなくなり、
僕らアジャイラーはそのエッセンスとして「アジャイル」を見つけたに過ぎません。
アジャイル適用は、従来型開発の「破」にとどめるべきなのです。

全てのツール、全ての理論は、所詮手段ですから、
全て書籍や現人神様の通りにやってはむしろいけないのです。

なぜならば、「守」→「離」と言う変化は、
僕らが崇め奉る「Alistair Cockburn」様の、
守破離』の教えに反しているからです。

ご利用は適用は計画的に順を踏みましょう。
比較的に受け入れられやすいのは、

と言ったとこらへんです。

大丈夫です。後はほっとけば、芳ばしい匂いが立ち込めてきます。

  • お客さんが要件決めきれなくて待機コストが増大していく
    • じゃぁこちらで適当に作っちゃいますので後でフィードバックくださいね。その分設計文書は後ね。固まってないから。
      • 段階的リリース導入
  • ここのロジックはかなり行間空けてたからコードが汚いなぁ。。。
    • 大丈夫、自動テストがあるんだからちゃっちゃか作り直しましょう

見たいな感じで、やばいところから自然とアジャイルっぽくなっていきますから。

「そりゃ、ちと楽観的な・・・」とお思いなのであれば、
その場から『離』しちゃえばいいんですよ。^o^



既存のやり方に自分なりのアプローチを加えるもコリャだめだと断じて去っていく。
まさに『守破離』!あなたは守破離の達人ですね。^o^



注:本当に去ってしまっても私は人生相談には乗りませんのであしからず。